広報しかおい2021年8月号掲載ジオパーク特集として、とかち鹿追ジオパークの専門員と、神田日勝記念美術館の学芸員による対談を行いました。本記事では、紙幅の都合から掲載出来なかった部分を含む、対談記事の拡大版をお届けします。
金森晶作(とかち鹿追ジオパーク 環境科学専門員)
専門は雪氷学、地球システム科学、科学コミュニケーション。氷河の研究で博士号を取得した後、北海道函館市で地域ぐるみのサイエンスフェスティバル「はこだて国際科学祭」の企画運営に携わった。第60次南極地域観測隊(2018-2020)において大気や雪の越冬観測を担当。帰国後、2020年10月から専門員として、とかち鹿追ジオパークに関わる。
川岸真由子(神田日勝記念美術館学芸員)
専門は芸術学(西洋美術史)。北海道大学大学院在学時に、一時休学して、地元の金沢21世紀美術館で学芸員の職を経験。修士修了のタイミングで鹿追での学芸員募集があり、2015年4月より神田日勝記念美術館で勤務。
美術館とジオパークの共通点
神田日勝記念美術館のミッションについて教えてください。
神田日勝記念美術館は神田日勝の画業を顕彰する、つまりは広めることが目的です。その方法はいろいろあるんですよ。
たしかに、展示している絵はいつも一緒ではないですね
展覧会によって絵の並べ方を変えたり、日勝の作品と一緒に展示する作品を変えたりします。色彩に注目するのか、形なのか、馬の描き方の変遷なのか、見て欲しいポイントを意識します。例えば、日勝はカラフルな作品もたくさん描いていますが、画家のあまり知られていない仕事や側面にスポットをあてる企画もあります。展覧会のストーリーをつくるためには制作背景の理解が必要です。関連資料の調査研究をして展覧会を企画しています。
日勝の作品を貸し出しているときなどは、完全に別の作家の作品展を行うときもあります。例えば、「水と魚、魅惑の世界展」(2021年6~7月)では、然別湖を愛する二人の作家、写真家の知来要さんと絵本作家の村上康成さんの作品を展示しました。その結び目には、釣り好きだった日勝が綴ったエッセイ「然別湖と釣り人達」があります。
展覧会を開くための準備はたくさんあります。はじめて見るお客さんにもストーリーが伝わることを意識しています。どう見せるか、悩むときもあり、気力のいる仕事です。
川岸さんのお仕事は、日勝の作品からストーリーを編み、展示する仕事ですね。実は、ジオパーク専門員の仕事も結構似ていると思っているんです。とかち鹿追ジオパークには、貴重な地形地質遺産があります。代表的なものは、国内最大級の風穴地帯となっている岩塊斜面と、その地下に点在している永久凍土です(※)。学術的な調査を通して、その価値を高めるのも大事なのですが、地球科学的な観点から、ストーリーを編み、伝えていくことも重要な役割です。とかち鹿追ジオパークのテーマは「火山と凍れ(しばれ)が育む命の物語」です。岩塊斜面は、火山活動によって生まれ、寒さと結びついて風穴地帯と貴重な生態系を生みました。また、鹿追の成り立ちは命からの恵みをもたらす基幹産業の農業とも結びついています。
(※)【解説】とかち鹿追ジオパークを代表する地質遺産が然別湖周辺の風穴地帯です。岩の隙間に氷が残り、夏の間、冷たい空気が吹き出します。場所によって、地下の氷が1 年中融けない永久凍土となっています。冷たく湿った環境がナキウサギやコケ類に代表される貴重な生態系を育んでいます。
ジオパークって何?
そもそも、ジオパークって何ですか?
実はそれは一言で答えるのが難しい質問なんです。美術館は、美術品を集めて並べる施設だって想像できて、そもそもの話から始まらないのが羨ましい。
さて、ジオパークは、貴重な地形や地質を中核とした地域づくりのプログラムです。認定の基準では地質学的に重要なサイトや景観が、「保護・教育・研究・持続可能な開発が一体となった概念」で管理されることになっています。地質地形遺産を保全しながらツーリズム等に活用し、教育にも役立て、持続可能な地域をつくっていきます。扱う範囲は地形・地質だけではなくて、鹿追の大地の成り立ちと関係があれば生態系や文化遺産も含まれます。また、気候変動など、重要な社会問題への意識を高める目的で活用することが求められています。
多岐にわたりますが、金森さんの役割は?
まず、学術調査や各種講座での講師など、学術的な専門性を発揮する仕事があります。加えて、鹿追の様々な営みを理解し、ジオパークとしてのまちづくりに位置づけることも大事な役割です。例えば、鹿追町では地球温暖化の対策が行われています。持続可能な社会をつくるためにとても重要なことですが、ジオパークとして、永久凍土等の貴重な地質やナキウサギが暮らす寒冷地の生態系を守る意味でも大切です。ジオパークの根幹にある地球科学では、長い時間をかけて地球に起こってきたことから今の地球の状態を見つめ、未来を考えることが出来ます。その視点から地域づくりに働きかけたいです。
節目の仕事
昨年は、日勝の没後50年の節目の年に回顧展を企画されましたね。
5年前に着任してから構想を抱き始めました。没後50年と鹿追町開町100年がちょうど重なり、また開幕一年前には、日勝をモチーフとした画家が登場するNHK朝ドラ『なつぞら』が放送されることにもなって、いいタイミングで開催することが出来ました。
どのようなコンセプトで企画されたのですか?
日勝は、「夭折の農民画家」として神話化(伝説化)されている側面があります。作品より彼自身のドラマチックな生涯のほうが注目を集め、作品自体の分析はあまりされてきていませんでした。作品や資料に即して制作背景や同時代の美術活動との結びつきを調査すると、絵のモチーフと取り入れ方が明らかになってきました。地方の農村に身を置きながらも、どんな絵に憧れていて、どんな影響を受けてきたとか。回顧展では、日勝が影響を受けた画家の作品も展示して、戦後美術の流れの中で、日勝の仕事を捉えました。
展示の構成はどのように組み立てたのですか?
全体のストーリーはありますが、まず作品をかっこよく見せることを第一に考えました。回顧展は鹿追のほか、札幌、東京の3会場で行ったんですが、各会場で広さが全く異なるため、基準としたのは東京会場(東京ステーションギャラリー)でした。どの位置に立つとどの作品が見えるかを会場に通って研究し、「展示ありき」で展覧会の作品リストや章立てをつくりました。これを基準に、鹿追は、東京に比べて会場が狭かったので、会期中に作品の入れ替えをしました。逆に、札幌の道立近代美術館は最も面積が広く、展示の骨子にさらに肉付けをして、数で見せる「オールキャスト」での展示で違いを出しました。
残念なことに、東京では、新型コロナウイルス感染症の影響で、予定の会期が縮小され、往来も自粛が求められる時期の開催となってしまいました。東京駅に「半身の馬」のヴィジュアルが大きく掲示されている光景を、もっと鹿追の方に見ていただきたかった。日勝は東京生まれなので、里帰りの意味もありました。
節目といえば、とかち鹿追ジオパークは今年、4年に一度の再認定審査だと聞きました。どのような審査があるのですか?
はい、ジオパークプログラムには再認定という仕組みがあるのです。持続可能な地域づくりを求めているので、その状況を審査されます。一番の問いは「地域が考え続けた結果としてジオパークの活動が質・量ともに充実しているか」。前回再認定時に指摘された課題への対応をはじめとして、地域づくりにジオパークの考え方がどこまで浸透しているのかを問われます。審査は、提出するレポートと、現地調査を元に行われます。現地調査に関わる方々も、各地のジオパークの関係者です。現地調査は、審査されるだけでなく、より良いジオパーク活動の実践について、調査員の方々とも共に考え、学び合う場にもなります。
最近は、鹿追で行われている様々な取り組みを、ジオパークとしてのストーリーに編集することを意識しています。その上で、鹿追の今を、審査に関わる人たちに伝えられたら、と。例えば、最近鹿追町が宣言した「鹿追型ゼロカーボンシティ」の取り組みは、永久凍土に代表される貴重な地質遺産を守る上でも重要なので、その点をアピールしています。また、基幹産業の農業は、火山や川の働きによってつくられたこの大地の成り立ちと密接に関わるので、畑についてのトークイベントを開催したりしました。その上で、鹿追の今を、審査に関わる人たちに伝えられたら、と思います。
実は、とかち鹿追ジオパークは、ジオパーク認定を受ける前から、ジオパーク足る各種活動が行われてきました。この点は全国のジオパークの中で少し特殊です。例えば、然別湖周辺では、アウトドア事業者が、自然を保全しながら活用する優れた取り組みを行ってきました。農業や観光に関わる事業者による、自然や文化を楽しむグリーン・ツーリズムの取り組みも然りです。また、教育では、小中高一貫で行われる「新地球学」が2014年度まで行われてきました。ジオパークの要素を新たに耕さなくても、元々地域に備わっていたのです。最近も、ジオパーク活動とは異なる流れから、鹿追型ゼロカーボンシティの宣言が行われましたが、気候変動の問題は、ジオパーク活動でも大きなテーマです。ジオパークを発端としていない活動でも、ジオパークの考え方をうまく使うと、結び付けて考えることが出来ます。地球の営みから、私たちのことを考えるわけです。そして、そのつながりから考えると、個々の活動の意味や価値が増えることになります。
神田日勝記念美術館×とかち鹿追ジオパーク
ところで、今回の対談は、金森さんからお声がけいただきましたが、どうして私と対談したいと思われたのですか?
先日、日勝の回顧展に関する川岸さんの講演に参加しました。そのスライドで、神田日勝記念美術館の建物の紹介があって、ピンと来たのです。
美術館の外観は、鹿追から見える東大雪の山並みを模したデザインなんです。設計は建築家の廣田直行氏です。
写真が出た瞬間に、あ、然別火山群とウペペサンケ山だ、と気が付きまして。そして、回顧展の名称が「大地への筆触」でした。「大地の公園」とも訳される、ジオパークと繋がると直感しました。
日勝は畑作農家です。職業画家とはバックグラウンドが異なります。描く手順は独特で、まるで畑仕事みたいなんです。ムラがなくて、一定の調子で、ブロックごとに筆をいれています。端から端まで同じ強さで、画面にメリハリや緩急がありません。馬(メイン)も空き瓶(サブ)も背景も、すべて同じ力で描かれますので、時には息苦しさも感じます。そしてこの手法こそが日勝の肌感覚に馴染んだ絵画制作方法だったのだと思います。鹿追の大地の成り立ち、風土が生んだ画家なのだと思います。
日勝の在り方は、ジオパークと根っこが同じ気がするのです。回顧展のキャッチコピーに、「ここで描く、ここで生きる。」とありましたね。ジオパークプログラムは、自然風土を元に、ここで暮らす意味をつくるものです。また、ここで暮らす意味や意義をみんなで考えるものでもあると思います。
神田日勝記念美術館にとっても、日勝の作品を後世に残したい、という意識をみんなでつくることが重要です。
ジオパークのストーリーで展覧会を編むことは出来そうでしょうか?
例えば気候で言うと、度重なる冷害と絵に込められた豊穣の願いとか。当時は今にも増して冷害との闘いの日々。不作に終わったこともあったといいます。その頃描かれた絵馬には、豊穣の祈りが込められていたのでは。それから十勝沖地震。神田日勝の奥様の話では、壁にたてかけていた大型の絵が倒れ、危うく娘さんが下敷きになるところだったとか。それがアトリエを構えるきっかけになったそうです。
自然災害も、ジオパークの重要な話題です。展覧会にまで結びつけることは出来ないかも知れませんが、一つ一つの作品から語れることがありそうですね。
今後の展望
川岸さんは、今後、どんなお仕事をしていきたいですか?
回顧展で日勝の名前と、半身の馬のビジュアルが北海道をこえて知られることになりました。若い人にも楽しめるような、若いアーティストのコラボ等、企画の幅は広げたいです。そして、その都度、新しい日勝像を発見出来ればと思います。調査でもまだまだすることがたくさんあります。書簡も含め著述文をまとめたり、蔵書の分析調査もまだまだ研究の余地があります。日勝作品の図像の典拠についても、また新しいものが見つかるかも知れません。
金森さんは雪や氷が専門ですよね?私は北陸の出身で、雪といえば牡丹雪でした。六華の雪の結晶形を肉眼でみられることを知らなくて。だいぶ大人になってから知って感動しました。
北陸でも条件が整った日には見られるはずですが、鹿追ほど頻繁ではないでしょうね。雪の造形は、私も見るたびに感動を覚えます。知らない人には、この先、知る感動を届けられる。私はそういう類の仕事をしたいです。これまで南極観測隊への参加など、なかなか他の人が出来ないことを経験をしてきました。着任するまで、あまり意識したことはなかったのですが、地球科学に関わりながら、自然の中に身をおいてきたのはジオパーク的人生だったと思います。特に、寒いところに行くことが多かったので、鹿追に来れたことは、うれしい巡り合わせでした。とかち鹿追ジオパークと、私が見たり感じたりしてきたことを繋げて、地球の息吹が伝わる仕事が出来ればと考えています。
(2021年6月に行った対談を元に構成)
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