鹿追町の広報誌「広報しかおい」ジオパーク特集として、様々な立場から地域づくりの活動に関わる皆さんの交流の座談会を行いました。(座談会開催日:2021年7月、広報しかおい2021年9月号掲載記事をウェブ用に再構成)
三反﨑 里香(みたざき りか)
鹿追町瓜幕在住。よさこいチーム代表、しかおいひらめきプロジェクト代表等多様に活動。
鳰 彰子(にお あきこ)
NPO法人アグリマンマごはんや代表。女性団体連絡協議会代表等も務める。
南部 真奈(なんぶ まな)
鹿追高校1年。高校の鹿追創生プロジェクトで然別湖の課題解決に取り組む。
阿久澤 小夜里(あくざわ さより)
自然・登山ガイド。ガイド会社ボレアルフォレストとして鹿追を拠点に活動。
いつ、なぜ鹿追に?
私は鹿追で生まれ、鹿追で育ちました。鹿追で結婚し、そして鹿追で死んでいきます(笑)。後期高齢者の75歳です。
鹿追町の笹川で生まれ、500m先の家の人と結婚しました。両親も舅姑も鹿追でお世話になって、看取りました。実家も、結婚した先も、畑作と酪農の両方をやっている農家でした。働くことが大好きで、それから本が好きです。家族が、『佐賀のがばいばあちゃん』をもじって『笹川のやばいばあちゃん』という本を作ってくれたことがありました。
55歳くらいになってからボランティア活動がしたくなりました。NPOとしてやっている「ごはんや」は今年で10年目です。チーズ同好会や、特産品研究会をつくったりもしました。孫と、三反﨑さんのお子さんが同級生です。
私は平成9年に名古屋から鹿追町の瓜幕に移住してきました。移住のきっかけは、夫の就職です。夫となる人が4月に移住、私は8月に鹿追にやってきて、9月に結婚しました。
はじめて実家を出て暮らし始めたのが鹿追です。鹿追に移住した日に、近所の人が焼き肉に呼んでくれて、歓迎してもらえました。夫は当初、鹿追町自然体験留学生センターのボランティア員をしていました。その後は、瓜幕の藤田牧場で2年間働かせてもらっていました。その間、私の方は、産休に入る方の代わりに役場で働いたり、農家の出面さんをしたりしていました。
子供たちや地域の人たちを巻き込みながら、いろんな活動をしていますが、今は鹿追小学校の支援員が主な仕事です。ジオパークのサポートガイド養成講座を受講して、認定サポートガイドとしてジオパークに関わっています。
私は音更生まれです。引っ越しはしておらず、ずっと同じ家にいます。今年4月に鹿追高校に入学しました。学校のある期間は学生寮で生活しています。外で遊ぶのが好きで、幼いころから木登りをしたりしていました。虫も好きで、公園でカブトムシやクワガタを捕まえて飼っていました。
鹿追高校では、総合的な探究の時間で鹿追創生プロジェクトに取り組んでいます。そこで「ネイチャー」というカテゴリーを選択しました。然別湖の課題に取り組むことになり、外来種の問題や、地球温暖化による環境の変化のことなどを調べはじめました。ジオパーク関係の方々がプロボノメンターという講師の役割を担当しています。
※鹿追創生プロジェクト
自分の興味の持つ分野を選択し、町の課題を見つけ、プロボノメンター(町内外の有識者や講師)から助言をいただいたり、実際に町に繰り出して問題解決のための提言や企画を行う学び。
私は26歳のときに然別湖畔に移住しました。住み始めた家はキャンプ場の小屋でした。その前5年間は東京でOLをしていました。山登り専門の旅行会社の添乗兼ガイドで、オフィスレディじゃなくて、アウトドアレディって呼ばれていました。移住のきっかけは、ツアーで出かけたカナダの山小屋でした。ガイドさんが小屋の管理をしていて、料理をして、ベッドメイキングもして、どこに行きたいかお客さんに聞いてくれて、案内をしてくれるのです。その土地に暮らしていて、ここのことが好きなんだ、という様子が伝わってくるガイドさんたちでした。それまでは東京を起点としてガイドしていましたが、私も自分が住んでいる「庭」のような場所を案内するスタイルに変えたくなったのです。本屋さんでいいところないかなと探していたら、然別湖ネイチャーセンターの記事を見つけました。手紙で働かせてほしいと頼み、住み込みで働いて、居つくことになりました。
外の世界をみてみると、今いる場所の良さがわかることがあります。 南部さんはどこか出てみたいって思いますか?
十勝が好きなのであまり考えたことはありません。でも、鹿追高校へはカナダ留学が出来ると聞いて進学しました。
※カナダ留学
鹿追町は、カナダ・アルバータ州ストニィプレイン町と姉妹提携を締結し、交換留学生の派遣、受入を行っています。鹿追高校の生徒は少額の自己負担額で、約2週間の交換留学に派遣されます。
鹿追高等学校カナダ短期留学
最近のことを教えてください
「ごはんや」をやっています。高齢者へのデリバリーからはじまったお店ですが、テイクアウトのお弁当も出しています。
昨日、お客さんと東ヌプカウシヌプリに登りました。その前は同じ人と、東雲湖に行きました。東雲湖に行くところにある然別湖の湾で「音更湾」というのがあるのですが、「おとふけ」という言葉が良いって言っていました。その方は地名が面白いようで、ヌプカウシヌプリを覚えようと努力しています。
そういう最近の話だったら、夏休みになったので友達みんなで遊びたいです。それから、最近興味があるのは、インターネットで生配信する「歌い手」の人たち。浦島坂田船というユニットが好きです。幼いころからピアノを演奏していて、自分で音楽活動をやってみたいとも思います。
私が好きなアーティストはSMAP。その前は坂本九でした。自分が亡くなったら、坂本九のテープと芋団子とバターと一緒に弔って欲しい。坂本九が亡くなったときは泣いて泣いて、眼科にかかってしまうくらい泣きました。
今年、鹿追に24年居て、はじめて南ペトウトル山に登りました。阿久澤さんがSNSで登山の様子を紹介しているのをみて、登りたくなったのです。そんな急な山ではありません。登山道は倒木が多いのですが、整備された後で歩きやすかったです。登山道のある然別湖界隈の山では一番高い山で、全部を見下ろせます。白雲山にはよく登るのですが、白雲山からみるのとは違う角度の景色で感激しました。
野望としては、鹿追の最高峰ウペペサンケ山を鹿追から登れるように整備したいです。お金をかけずに楽しめるのが自然のいいところです。
私も自然の中に行くことが好きです。野外炊飯やキャンプファイヤーをしたり。今年は日高青少年自然の家でカレーをつくりました。
最近、キャンプが流行っていますが、昔は川狩りっていいました。川で遊ぶことが川狩り。今でいう、川でのデイキャンプです。
そういうのを家族で出来ていたっていうのが羨ましいです。鹿追は自然が身近な町ですね。
私は子供のころはアウトドアなんてやらない家だったので、大人になってはまりました。
鹿追の自然やジオパークに思うこと
私はジオパークの認定サポートガイドとして、ジオパークのお手伝いをしています。先日は夏の風穴ツアーを企画、実施しました。わからないなりに勉強しながらコケの解説をして、自分の学びにもなりました。ジオパークに関わって、自然を、その成り立ちからみるという視点を持つようになりました。道内の他のジオパークも気になるようになって、アポイ岳ジオパークに行ってかんらん岩を観察したりもしました。鹿追ってすごいんだなって改めて思えるようになりました。
とかち鹿追ジオパークでは推進協議会の副幹事長をやらせていただいています。「保全」「教育」「ツーリズム」という3つの部門にわけて、ジオパークの活動を進めています。その過程で、自然の抱える問題がいろいろあることも知るようになりました。最近は、天候の影響もありますが、山に倒木が増えました。人気が出て人が増え、登山道が荒れたり、植物が減ってしまうという変化も現れてきました。専門用語で「オーバーユース」、利用と保護のバランスが崩れてしまっていることが原因です。平野部にもジオパークの見どころがありますが、町外から人が来ることによって、鹿追で暮らしている人たちに迷惑がかからないようにしたいと思っています。また、鹿追を訪れた方たちがジオサイトとして紹介している見どころを安心して楽しんでいただけるように、保全に関わるメンバーと一緒に考えながら、整備やルールづくりを進めています。ジオパークには認定の時から関わらせてもらっていますが、ジオパークで繋がった人たちと一緒に行動できるところが、ジオパークの魅力だと感じています。
ジオパーク活動は町民を巻き込むと良さにつながっていきますね。鹿追がジオパークになって、ビジターセンターも出来て、然別湖畔のネイチャーセンターが下りてきたような、然別湖が近くなったような感覚があります。然別湖と平野部がつながりました。
鹿追では、学校で地球学をやってきたことがあって、自信を持って鹿追のことを話せる子が多いと感じます。これはすごいこと。地道にやっていくことも大事と思います。おうちで鹿追のことを話していて「然別湖行こうか」とかなると面白いですね。
※地球学
鹿追町では、2003年度より2014年度まで、文部科学省研究開発学校の指定を受け、町内すべての小学校・中学校・高校で「しかおい学」→「地球学」→「新地球学」と内容の発展を遂げながら郷土の環境や歴史についての教育を行ってきました。
孫が然別湖畔のカフェムバンチのベーグルを食べたいって言ってきたことがあります。そういうことが大事。焼きカレーも美味しいです。
この先のこと、将来のこと
社会福祉協議会でお世話になったので、そこでボランティアをやっています。ボランティアでは食事を作ったりしていますが、仲間たちが高齢化し、作る側から作ってもらう側になってきました。若い仲間を増やすことも考えなければなりません。60歳くらいになったら入ってもらえると嬉しいです。子育ての頃は、他所様の子供を大事にすれば、自分の子供も大事にしてもらえると思ってやってきました。今は、自分が高齢者向けのボランティアをすれば、自分の老後も救われる、という感覚があってやっています。
ジオパークでも大事にしている、持続可能な地域づくりにつながりますね。
私は、自然ガイドという仕事をしていますが、その立場から思っていることがあります。当たり前のようにあると思っていた自然が、気付かないうちに無くなってしまっていたなんてことがありませんか?毎年見かけていた鳥を見かけなくなったり、木が切られて林がなくなっていたり。自分の好きな鹿追の風景や場所というものを町民の方それぞれに持っていて欲しいと思います。そうした自分の好きな風景や場所は守っていきたいなと思うはず。そういった皆さんの好きな風景や場所を共有できたらいいんじゃないかなと思います。もしあったら教えて欲しいです。そうしたら自分の好きな風景や場所が増えるかもしれません。守りたい大事な風景や場所がたくさんある町というのは、とても豊かで住み心地が良い町なんじゃないかと思います。
将来は医療関係の仕事につきたいと思っています。母が医療関係の仕事をしているのですが、母の姿を見てそう思いました。それから、十勝で暮らしていきたいです。一度東京に行ったことがありますが、都会と比べてみて、十勝の自然の身近さ、水のきれいさ、ご飯の美味しさを感じました。
鹿追では地域の人たちとお祭りとかイベントとか、一緒にいろんなことをやってきました。鹿追が好きで活動している人は多いのですが、うまくつながっていないと感じることがあります。ジオパーク活動がきっかけでつながることが増えたらいいな、と思います。最近は瓜幕の地域イベントでジオパークの出番をつくりました。どういう風になったら素敵な人たちがつながれるのかな。ジオパークがみんなをつなげるツールになったらいいな、と思っています。
そういうことだったら、ジオ弁当を作りたいです。みんなでお弁当を作って出かけたい。今回の座談会も、思いが伝わったり、つながる場になりましたね。
※本記事は2021年7月に開催した座談会を元に構成しました。
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